第2回 楽天平石
楽天平石、あの夏から10年が過ぎて…/中
トヨタ自動車時代の楽天平石
思い返せば、楽天平石の野球人生は、常にケガとの二人三脚だった。高校1年の夏、左肩を痛めた。2年の春に手術をしたが、本調子にはほど遠い日々。いら立ちと焦りが募った。信頼する清水孝悦コーチに支えられながら、リハビリをする毎日。人望をかわれ主将となった3年の春・夏は甲子園に連続出場をし、チームを精神的に引っ張ったが、自分の目指すプレーは思うようにできなかった。そして、その無念さを抱えたまま、彼の高校野球は幕を閉じたと言っていい。だからこその「あの試合」なのだ。
PL学園卒業後、平石は同志社大に進学する。1年春のリーグ戦からレギュラーを獲得。首位打者こそ逃したが、いきなり大活躍することができた。しかし手術した肩は万全とはいえず、リーグ戦が終わるや、福岡県内の病院にリハビリ入院した。これが、実は大きな転機となる。
この病院は多くのプロ野球選手が治療に訪れることで知られていた。偶然、左肩を手術した中日今中投手と同じ病室になった。2カ月間、リハビリをともにした。必死にトレーニングに取り組む中日のエースの姿が何よりの励み、参考になった。故障へのいら立ちはいつしか吹っ切れていた。肩に負担のない投げ方を身に付け、大学に戻った。そして、秋のリーグ戦最終戦に先発出場できた。
その後は左肩も順調に回復。ベストナインを4度受賞。4年夏には全日本メンバーに選ばれ、イタリア遠征にも参加した。ここで多くの「松坂世代」と呼ばれた同期の選手と交流を深めた。早大の和田(現ソフトバンク)、亜大の小山(現中日)といったメンバーである。
大学卒業後、トヨタ自動車に入社。大学のリーグ戦とは違うトーナメント勝負。しかも勝ち負けが、野球部の存続にもつながる厳しいプレッシャーとの戦い。「高卒の19歳も、30歳を過ぎたベテランも、同じように泥まみれになって、全国で勝つという目標に向かって、皆で必死になって頑張りました」。そんなチームの中で、平石は「1番センター」として役割を果たした。「意識の高い人達が集まっているこの野球部」が好きだった。肩の調子も上がり、ようやく本来のイメージで野球が出来るようになったと実感できた。平石自身の中に「このチームを引っ張っていきたい」という意欲が湧いた。都市対抗、日本選手権にも出場することができ、充実した2年間となった。(続く)
◆平石洋介(ひらいし・ようすけ)1980年4月23日、大分県生まれ。PL学園の主将として甲子園に出場。3年夏の準々決勝で松坂の横浜と延長17回の死闘を演じた。卒業後、同大−トヨタ自動車を経て2004年ドラフト7巡目で楽天入団。1年目から1軍出場を果たすが、定着できず。175センチ、75キロ、左投げ左打ち。今季推定年俸800万円。背番号33。家族は夫人と1女。
2008年7月31日 11:17
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