第1回 常盤良太
決勝2ランの常盤良太さんは今/中
1998年8月20日、PL学園戦で延長17回に決勝2ランを放ちガッツポーズの横浜常盤
常磐良太さんが、大学4年春のシーズンを最後にユニホームに別れを告げた理由とは何か? 東海大入学後、すぐに右肩を痛めてしまった。直接的な引退理由はそれだ。大阪、神戸。各地の病院に足を運んだ。しかし、思うように治らなかった。
大学3年の春、常盤さんは、オープン戦でサードを守っていた。「大学野球でサードくらい守れないようでは、よっぽど強くない限り社会人野球じゃ即戦力にならない」。173センチ、73キロと決して大きくはない常盤さんにとって、サードというポジションは必須条件だった。これで行ける。そう思った矢先、また肩の調子が悪くなった。「当時は、何だよ!って思った。結局3年の1年間はズルズル過ごしてしまった」という。
そして、迎えた大学4年の春。社会人野球のスカウトから声がかかるかもしれない、最後のチャンスがやってくる。もう肩の調子など考える余裕すらなかった。必死になった。その甲斐あって、ベストナインに選ばれた。しかし…。スカウトから声がかかることはなかった。その時、「自分に課した問題に、負けたんだって思いました」。
客観的に現状を受け入れることはできた。しかし、本当に自分を納得させるためには、もう1つ、階段を上る必要があった。
引退を決断するにあたっての決め手。それは、肩のケガだけでは足りなかった。きっかけは、意外なところにあった。
「やがて人生の勝利者となれ」。横浜高校野球部の渡辺元智監督が、日頃から部員に教えていた言葉である。野球を辞めてからの人生の方がはるかに長い。1つの目標を目指し、登り切れなくても違った分野で人生の勝利者を目指せ。渡辺監督から、そう教わってきた。
この言葉がいつも常盤さんの胸にあった。野球を辞める決断を、最終的には恩師の教えが後押しした。
「決める時には時間がかかりましたよ。プラス思考でもないし、あれこれよく悩みました。ずっと野球ばっかりやってきたから。やめる寂しさもあったし、やめてどうするんだっていう迷いもあった。でも、今まで、1度も後悔をしたことがない。高校時代、野球だけが人生じゃないって、監督からよく言われていましたから。社会人野球をやったとしても、長くは続かない。30歳くらいになった時のことを考えたら、野球ではなく、早めに自分の道を探した方がいいと思った」。
常盤さんは、そう言った。「誰に頼まれて野球をやるわけでもない。続けるのかどうか、決めるのは、他ならない自分」。そうやって、自分の心と対峙して、野球をやめることを決断した常盤さん。しかし、今思えば高校の時に培ったものがすべて土壌になっているという。(続く)
◆常盤良太(ときわ・りょうた)1980年(昭55)7月17日、横浜市生まれ。野球は瀬戸ヶ谷小3年から「山王ファイターズ」で始める。永田中時代は「中本牧シニア」に所属。横浜高−東海大で内野手として活躍。現在は「日本ロレアル」東日本営業部関東第一支店勤務。家族は両親と妹。血液型AB。レッドソックス松坂とは卒業後も仲が良く、今春東京ドーム開幕戦で帰国した際は、夕食をともにした。
2008年7月29日 12:01
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