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2010年10月18日

坪井智哉、2度目の旅立ち

 日本ハムのユニホームを着る最後の瞬間を、五感で受け止めていた。札幌ドームでの9月26日西武戦。坪井智哉は、球団関係者らにお願いをしていたという。打席登場時のオリジナルBGMを、この時だけは流さないでほしいという要望だった。「最後かもしれないんで、ファンの方の歓声とか、そういうのをしっかり感じたかった」。その代打での打席が、今季最終打席になった。新たな旅立ちへの儀式だった。

 慢性的に抱えている座骨神経痛に苦しんだ、シーズン終盤。9月中旬に1軍へ昇格した。2軍で復活して結果を残しても、1軍へお呼びが掛からない日々。代わりに同じ左の代打要員として、経験が少ない若手が続々と1軍へ昇格していった。ベテランだけにうすうすは察知していた。「もうそろそろクビかもしれないと思っていた」。その予感は的中した。1軍に再昇格後、すぐに来季の構想から外れていることを、球団から通告された。

 同時に、来季からの指導者転身を打診された。周囲に相談。親友のマリナーズ・イチロー、チーム内では田中幸雄2軍打撃コーチ、稲葉篤紀らに悩める胸中を明かしたという。少しの葛藤(かっとう)を経て出した答えが、現役続行の選択。そこから、もう来季は日本ハムのユニホームを着てプレーできないことを知りながら、打席へと向かい続けた。そして、最後の打席を精いっぱい、堪能して新たな出発点に立つ決意をした。

 ちょうど4年前。日本ハムが44年ぶりの日本一を達成した直後、同じように翌シーズンの契約を結ばないことを通告された。「人生で一番ショックな出来事だった。当時は『ふざけんな』とか思った」というのが本音だった。2回目の今回の心境を、柔和な表情で吐露した。「今は感謝しかない。日本ハムでプレーできて本当に良かったと思っている」。1、2回目ともに取材をする機会があったが、別人のように同じ境遇を受け止めていた。

 国内を第1希望とし、プレー先を今、模索している。「野球をさせてもらえるところを探したい。でも今のところはノープラン」と笑いながら語った。わずかな可能性を信じ、2度目の転機のオフを過ごしている。日本ハムでのラスト打席に封印した曲は、爆風スランプの「旅人よ The Longest Journey」。サンプラザ中野が、坪井用に歌詞をアレンジした。路頭に迷っていた06年オフにプレゼントされた、オンリーワンの1曲。新たな旅の行方を見つけ、またいつか球場に響く日がくることを願う。

(高山通史)


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ハム番日記
高山通史(たかやま・みちふみ)
 新潟県新潟市(旧小須戸町)出身。日刊スポーツ長野、新潟支局を経て02年北海道本社に入社。編集部。一般スポーツ、コンサドーレ札幌などを担当し、03年9月から日本ハム担当。高校3年夏の甲子園に出場して本塁打をマーク。趣味は映画(レンタルDVD)観賞と愛犬の散歩。1975年4月生まれ。
本間翼(ほんま・つばさ)
 北海道札幌市出身。在京スポーツ紙で4年間経験を積み、07年6月に入社。昨年まではプロ野球を担当し、新規参入1年目の楽天、44年ぶり日本一の日本ハムを担当した。休日は最近はじめたゴルフの練習に精を出すが、思うように上達しないのが目下の悩み。1978年4月生まれ。
石井克(いしい・まさる)
 北海道札幌市出身。1983年8月生まれ。09年9月に北海道本社に入社。同年10月から日本ハムを担当している。小学3年から野球を始め、高校時代は投手。アンダースローに転向して甲子園を目指すも、夢はかなわなかった。最も尊敬する人物は野茂英雄氏。

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