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2010年4月13日

それぞれの心に生き続ける木村拓也コーチ

 4月7日。日本ハムのチーム全体を、深い悲しみが覆った。OBでゆかりが深い巨人木村拓也内野守備走塁コーチが死去。37歳の若さ、志半ばでの他界を悼んだ。同い年の稲葉は沈痛な表情で思い出を語り、ダルビッシュも一夜明けた8日に自身の公式ブログを更新して悲痛な胸の内を明かした。14歳も年上の先輩だが、同じ父としての姿を投影するかのような、思いをつづっていた。

 泣きはらした瞳でつらい胸の内を隠し、その日も仕事にまい進していた人がいた。球団職員、荒井昭吾・事業本部コミュニティーグループ長。木村コーチと同い年で、91年に同じくドラフト外で、日本ハムに入団した。その日の朝、訃報(ふほう)を知ったという。「もうこれ以上、出ないというくらい泣きましたから…。小さい体でね、よく頑張ったと思いますよ」。気丈に思いを語っていたが、声を少し詰まらせていた。
 木村コーチを、たった一言でしか表現できないという。「あんなにいいやつはいない。それだけ」。荒井さんが引退した後も、ずっと親交は続いていた。東京・吉祥寺で板前修業をしていた時、広島の後輩・東出輝裕を連れて来店。励ましの言葉をもらい、セカンドキャリアを応援してくれた。グラブをプレゼントしてもらったこともある。「もうこれは形見ですね」。荒井さんは涙をこらえ、生前の思い出を明かした。
 今季からチーム付きで対戦球団を分析するスコアラー業務を行う石本努チームプロスカウトは、その年の2位入団。長崎出身で、木村コーチとは同じ九州男児で同い年、仲が良かった。3月に電話で、木村コーチと話したばかり。2軍で同タイプの小柄なスイッチ打者、2年目の杉谷拳士が木村コーチに強くあこがれていた。球団の垣根を越え、野球界の先輩として助言してもらえるように、お願いしたばかりだった。倒れた後も「タクヤなら、いつか戻ってくると思っていた」との祈りは届かなかった。
 昨年の日本シリーズで対戦した後、荒井さんは、木村コーチの引退の一報を知った。現役への未練がないかを、電話で尋ねたという。「コーチとして呼んでもらえるだけで幸せなことだから」と、指導者人生への思いを語ったという。その本格スタートとなった春季キャンプ中にも近況を聞こうと電話したが、つながらず、珍しくコールバックがなかったそう。荒井さんは「よっぽど、忙しいんだろう」と気遣っていた矢先、友は天国へと逝った。
 私は取材を含めて、木村コーチとは接したことがない。それでも、それぞれの心にこれからも生き続けるであろう「木村拓也」という野球人とは、接した。1度でいいから、お会いしてみたかった。

(高山通史)


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ハム番日記
高山通史(たかやま・みちふみ)
 新潟県新潟市(旧小須戸町)出身。日刊スポーツ長野、新潟支局を経て02年北海道本社に入社。編集部。一般スポーツ、コンサドーレ札幌などを担当し、03年9月から日本ハム担当。高校3年夏の甲子園に出場して本塁打をマーク。趣味は映画(レンタルDVD)観賞と愛犬の散歩。1975年4月生まれ。
本間翼(ほんま・つばさ)
 北海道札幌市出身。在京スポーツ紙で4年間経験を積み、07年6月に入社。昨年まではプロ野球を担当し、新規参入1年目の楽天、44年ぶり日本一の日本ハムを担当した。休日は最近はじめたゴルフの練習に精を出すが、思うように上達しないのが目下の悩み。1978年4月生まれ。
石井克(いしい・まさる)
 北海道札幌市出身。1983年8月生まれ。09年9月に北海道本社に入社。同年10月から日本ハムを担当している。小学3年から野球を始め、高校時代は投手。アンダースローに転向して甲子園を目指すも、夢はかなわなかった。最も尊敬する人物は野茂英雄氏。

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