鈴木忠平の記事一覧
2009年10月13日
CSの竜「見くびるなよ」
リーグ全日程が終了した。クライマックス・シリーズを前に思うことがある。あれは巨人に優勝を決められた9月21日からの東京ドーム3連戦の最中だった。宿敵に力の差を見せつけられ、敗れるチームを指揮しながら...(鈴木忠平)
2009年9月01日
ブランコ支える「黒革の手帳」
勝利にかけるチームスタッフの思いに触れた気がした。桂川通訳は試合中、いつも黒い手帳を持っている。ブランコが打席を終えてベンチへ戻ると、傍らには必ず手帳を広げて熱心にメモしている桂川通訳の姿があるのだ...(鈴木忠平)
2009年8月04日
「終わらない攻撃」追求する落合中日
負ける気がしなかった。交流戦後のリーグ再開から7月終わりまで、落合中日は首位を猛追した。21勝7敗。わずか1カ月の間に14個も貯金を積み上げた。安定した投手力に加え、打線の勢いが加わったことが要因だ...(鈴木忠平)
2009年6月30日
忘れられない札幌Dの楽し~い観戦
ここまでやるか。正直、そう思った。6月13日からの日本ハム2連戦。札幌ドームを訪れて驚いた。球場の新しい目玉としてガールズ・バーが設置されていたのだ。デスクの指令を受けて潜入取材してみた(あくまで仕...(鈴木忠平)
2009年5月19日
打線上昇ひたすら待つオレ流
ロック歌手の忌野清志郎さんが5月2日、58歳の若さで亡くなった。9日に行われた葬儀には約43000人が弔問に訪れた。その忌野さん、実は熱狂的なドラゴンズファンで99年のリーグ優勝時にはスタンドから歓...(鈴木忠平)
2009年4月16日
マウンド行かなくなった落合監督
オレ竜が変わった。前年までにはなかった藤井、野本ら若手の台頭が今季は見られる。そして就任6年目の落合監督にも大きな変化がある。ファンの方は気づいているかもしれないが、今季は投手交代の時に自らマウンド...(鈴木忠平)
2009年3月28日
WBCの裏で淡々とシーズン準備
日本列島はWBC連覇という美酒に二日酔いだ。テレビの情報番組では朝からWBCの話題を扱っている。そんな中、ナゴヤドームではテレビ関係者のこんな会話が聞こえてきた。...(鈴木忠平)
2009年3月18日
サバイバルレース、今年も落合監督は沈黙
今年も落合監督に「沈黙の時」が訪れた。オープン戦が始まってから監督会見は行っていない。試合後は選手個々の評価を口にすることもない。開幕前のこの時期に、いや、この時期だからこそ指揮官は口を閉ざすのだ。...(鈴木忠平)
2009年2月28日
井上、いざという時の金将になる
小学生のころ、よく父親と将棋を指した。酒を飲まない父は将棋が趣味だった。そんな父には負けてばかりだったが、ほんの数回だけ勝てたことがあった。それは最初に持ち駒をもらった時だ。「強い相手に勝とうと思っ...(鈴木忠平)
2009年2月23日
小林正の決断に見たプロ意識
ファーム・読谷組を取材していて、一瞬ヒヤリとしたことがあった。シート打撃で井上の打球が登板していた小林正の左足付け根付近を直撃。小林はそのままマウンドにバタリと倒れ込んだのだ。...(鈴木忠平)
2009年2月13日
初ブルペンで見た。44歳現役の一端
少しさかのぼるが、今年の元旦は朝寝坊で幕を開けた。すっかり日も高くなったころ、眠い目をこすって起きていくと実家の母親が朝食の準備をして待っていた。年を重ねるごとに正月の過ごし方が自堕落になっている。...(鈴木忠平)
2009年2月01日
福留が注目する育成入団の加藤
またこの季節がやってきた。落合政権6年目のキャンプイン。記者も沖縄に約1カ月滞在し、チームを追う。12球団で最も厳しいと言われるキャンプはとにかく長い。北谷の町がまだ静かな午前9時前から早出練習が始...(鈴木忠平)
2009年1月19日
憲伸はアイデアの人
日本時間の1月14日、中日からFA宣言していた川上が米アトランタでブレーブスへの入団会見を行った。画面の中の川上は子供のように無邪気に笑っていた。記者はそれを見届けてからナゴヤ球場へ向かった。選手た...(鈴木忠平)
2008年12月28日
一流ほど趣味にこだわり
「趣味はなんですか?」。最近、選手のトークショーなどを取材に行くとファンから必ずこの質問を耳にする。ファンはやはり選手のオフの顔が知りたいようだ。アウトドア派、インドア派、無趣味派とさまざまだが、記...(鈴木忠平)
2008年11月20日
オレ流指揮官は日の丸より竜再建
WBC監督は死ぬまでやらない-。そんな話を落合監督から聞いたのは9月のことだった。折しも北京五輪で星野監督率いる日本代表が惨敗し、来春のワールドベースボールクラシックの監督人事が全国的な注目を集めて...(鈴木忠平)
2008年10月26日
オレ竜の短期決戦に欠かせない“感性の捕手”谷繁
クライマックスシリーズ直前のナゴヤドーム。落合監督が谷繁を呼んだ。「キャッチャー1人抹消するからな。全部いけよ」。ひと言ですべてを理解した。だから「はい」とだけ短く答えた。指揮官がチームの司令塔に下...(鈴木忠平)
2008年10月09日
落合監督と清原、対照的な引き際
10月1日、大阪ドームで行われたオリックス清原の引退試合はまるでコンサートのようだった。マリナーズ・イチロー、阪神金本、歌手長渕剛らスターに彩られて、最後は涙のスピーチで締めくくった。その様子を落合...(鈴木忠平)
2008年9月28日
今後に生かせ!ルーキー山内のホロ苦“強制送還”
9月14日、ルーキー山内はまだ試合が行われている横浜スタジアムを後にした。タクシーで宿舎ホテルに着くと急いでシャワーを浴びて駅へ向かった。新幹線に乗り込むと、悔しさがこみ上げてきた。「荷物がやけに重...(鈴木忠平)
2008年7月04日
仮面の裏で渦巻く無数の苦悩
いつも強気のオレ流監督が珍しく、弱音を吐いた。自分を責め、自嘲(じちょう)気味に笑った。「昨日は眠れなかったよ。だめだな…」。6月28日横浜戦(横浜)で敗れた翌日のことだった。指揮官が悔いていたのは...(鈴木忠平)
2008年5月20日
あまりに早いスタメン8人衆の崩壊
起きたことを悔いても仕方ない。ただ、悔いずにはいられない。そんな出来事が5月14日ヤクルト戦(神宮)に起きた。3回、中堅森野が突然たおれた。左足ふくらはぎを抑えたまま担架に乗せられてグラウンドを去っ...(鈴木忠平)
2008年3月30日
オレ流指揮官が目指す理想のチーム
男にとって1番大切な持ち物。それは理想-。確かこんなキザなCMがあった。多かれ、少なかれ、だれもが理想を追い求めて生きている(中にはそうでない人もいるが…)。そして開幕前の今は、監督も、選手も頭の中...(鈴木忠平)
2008年3月09日
時期尚早?落合監督沈黙の真意は…
3月3日、沖縄・那覇空港。落合監督は保安検査場を通ると、いつものようにサングラスをかけて歩き出した。「なんだよ?」。記者が近寄るとにやりと笑った。名古屋に戻る前に1つ聞いておきたいことがあったのだ-...(鈴木忠平)
2008年2月25日
今年も情報戦でリードするオレ竜
キャンプも中盤を過ぎるとネット裏が騒がしい。実戦編へ突入するこの頃、他球団のスコアラーが視察にやってくるのだ。新戦力のチェックはもちろん、各選手の球種やクセ、各打者の一塁到達のスピードなど分析は実に...(鈴木忠平)
2008年2月10日
気配りの「ひと声」欠かさぬ立浪兼任コーチ
「べんちゃん、乗れよ 」…。沖縄・北谷球場の屋内練習場。立浪は自転車にまたがると練習を終えた和田にこう声をかけた。メーン球場への約200メートルをファンや、報道陣に囲まれながら必死でペダルをこいだ...(鈴木忠平)
2008年1月15日
常勝オレ流監督に休息なし
バスは伊勢道を東へ向かっていた。2008年1月4日の夜、落合監督は年末年始を過ごした和歌山県太地町から家族とともに名古屋へ戻った。「早いなあ~」。そう言うとちょっと厳しい表情になった。休息は終わり、...(鈴木忠平)
2007年11月14日
「非情」は落合監督へのほめ言葉
記者席で思わずつぶやいた。「やっぱりな…」。11月1日、日本シリーズ第5戦、9回表が始まる前に落合監督がベンチを出た時だった。完全ペースの先発山井から岩瀬への交代を告げた。後出しジャンケンのようで嫌...(鈴木忠平)
2007年10月13日
結果論で振り返らないのがオレ流
オレ竜の連覇が消えた。10月1日、広島に敗れて巨人のマジックが「1」となり事実上の終戦を迎えた落合監督はこれだけ言った。「仕方ないだろう。勝負事なんだから」。敗軍の将、兵を語らず。巨人の優勝が決まっ...(鈴木忠平)
2007年9月11日
真の「天王山」知るオレ流監督
8月21日、落合監督は東京ドームのロッカーへと続く薄暗い通路を歩きながらいさめるように言った。 「おまえら、天王山という言葉の意味を知っているのか? 144試合目で優勝が決まるというならいくらでも...(鈴木忠平)
2007年8月07日
問われる球宴の権威、オレ流嘆き節
7月20日、オールスター第1戦。セ・リーグを指揮する落合監督の表情は冴えなかった。「楽しくなんかないよ。気をつかうことばっかりだ」。「オレもいろいろ考えを言ったけどムダだ。もう言うのはやめた」。出て...(鈴木忠平)
2007年6月02日
マイペース中田のテンポアップに驚き
もしこれが車の運転ならば“速度違反”かも!? セ・リーグのハーラートップタイ6勝をあげている中田賢一投手(25)。5月12日巨人戦(東京ドーム)から投球間隔をスピードアップした。それまで捕手からボー...(鈴木忠平)
2007年5月05日
松坂の初球カーブに福留は
ちょっと古い話になるが、4月12日のことだ。珍しく自然に目が覚めた。遠征先・大阪市内のホテル。アラームをセットした午前8時より5分早くベッドから出てテレビの電源を入れた。画面に映し出されたのは米ボス...(鈴木忠平)
2007年4月07日
現役時代と変わらぬ川相コーチのスタンス
「71・KAWAI」-。2ケタになった背番号が初々しかった。3月30日、開幕戦(対ヤクルト・ナゴヤドーム)、中日の川相昌弘内野守備走塁コーチ(42)が第2の野球人生を歩み始めた。 ...(鈴木忠平)
2007年3月10日
ノリ加入で森野が思い出した原点
まさにプロの顔だった。4日、ロッテとのオープン戦後、初本塁打を含む3安打を放った森野はナゴヤドームの駐車場で約15人の報道陣に囲まれていた。...(鈴木忠平)
2007年2月24日
「うまく抜く」本能で知る堂上直
今キャンプの不思議の1つに高校生ドラフト1巡目・堂上直のバッティングがある。初めてのシート打撃を行なった11日、3安打デビューした。さらに初めての練習試合となった16日の韓国SK戦では途中出場で2安...(鈴木忠平)
2007年1月30日
ルーキー堂上直の初練習に見た「本物」
堂上直は1人だった。1月9日、高校生ドラフト1巡目の「大物ルーキー」はプロとして第1歩を踏み出す入寮日を迎えた。そしてその日のうちに隣接する屋内練習場へ向かった。たった1人で-。...(鈴木忠平)
2007年1月14日
山本昌、懐かしくも寂しい母校自主トレ
41歳のベテランはグラウンドに出てくると、まるで少年に戻ったような笑顔を浮かべた。「やっぱりここに来るといいね…」。記者の仕事始めとなった1月4日。母校・日大藤沢高で自主トレを行った山本昌を取材した...(鈴木忠平)
2006年12月20日
もがくのは格好悪くない
「もがくことって格好悪いことじゃないんですね」-。中日を戦力外となって楽天に入団した川岸強投手(27)の言葉だ。ほんの1カ月前とは比べものにならないたくましくさ。「クビ」というドン底の経験が1人の男...(鈴木忠平)
2006年12月05日
デニーが弟分・松坂に贈るエール
ポスティング制度によって西武松坂との交渉権をボストン・レッドソックスが約60億円で獲得した。このニュースを見た時、すぐにあるベテラン投手を思い出した。05年、同球団へ移籍したが、メジャー登板できず今...(鈴木忠平)
2006年11月10日
日本シリーズ、オレ流強攻策の裏に
記者席にも、落合監督の苦悩が伝わってきた。日本シリーズ第3戦、中日はついに1度もバントをしなかった。やれる機会は少なくとも3度はあった。それでもベンチは頑なに強攻。第4戦に敗れて王手をかけられるまで...(鈴木忠平)
2006年10月15日
福留が背中の「1」に込める思い
福留の背中にある「1」-。それはただの背番号ではない。この3年間、見続けてきてわかった。リーグ最高のバットマンへの成長を支えた「福留流哲学」の象徴なのだ。...(鈴木忠平)
2006年9月19日
大記録消したミス、実は大記録アシスト
山本昌、ノーヒットノーラン-。史上最年長の快挙が生まれた16日阪神戦(ナゴヤドーム)から一夜明けた17日、各紙にはこぶしを突き上げるベテラン左腕と、そこにうれしそうに駆け寄るナインたちの写真が。しか...(鈴木忠平)
2006年9月05日
球児の速球打ち砕いたオレ竜野球の気骨
オレ竜が藤川を打った。8月30日阪神戦(甲子園)1点ビハインドの9回裏2死走者なし。井上が152キロの“火の玉ボール”をバックスクリーン右へたたきこんだ。 ...(鈴木忠平)
2006年8月22日
ブラウン発言に激怒した落合監督の思い
優勝へ独走しているオレ竜が「スパイ疑惑」に揺れた。広島ブラウン監督の発言に、落合監督が激怒した一件は、球団間の話し合いで収束した。だが、その裏では“被害者”となった人たちもいた。 ...(鈴木忠平)
2006年8月08日
鉄人・谷繁の大記録の「礎」とは
緑の芝生を蹴る。その一足、一足が、大記録への礎だった-。7月26日、谷繁が捕手として史上4人目となる通算2000試合出場を達成した。「プロに入ってから1度も大きなケガしなかった。だからここまで来れた...(鈴木忠平)
2006年7月05日
現役最多出場捕手・谷繁の「勲章」
6月29日、神宮球場-。谷繁が古田を抜いた。通算1986試合目の出場を果たした中日の正捕手に対しヤクルトの選手兼任監督は出場せず、1985試合のまま。「そうなの? 全然知らなかったよ! でも…。すご...(鈴木忠平)
2006年6月20日
サッカーにも通じる福留の極意
6月13日は朝からもやもやした気分だった。サッカーのドイツW杯で日本代表がオーストラリア代表に敗れた翌日。「なぜジーコ監督は…」。一丁前の敗因分析をしながら監督、選手とも自然とその話題へ。すると、打...(鈴木忠平)
2006年6月06日
ぼやく人ぼやかぬ人、監督の目的
ぼやく人とぼやかない人が仲良く並んでいた。6月2日、フルキャスト宮城スタジアム。楽天対中日戦の試合前、打撃ゲージ裏では野村監督、落合監督の談笑が延々と続いていた。ともに球史に残る右打者。ヤクルト時代...(鈴木忠平)
2006年5月23日
敵地で弱いオレ竜、復調のカギは?
もどかしさ、怒り、落胆が言葉に詰まっていた。「もう! 本当に…。うちの選手は環境が変わると弱いなあ」。オレ竜は敵地で弱い。21日までの交流戦を例にとれば札幌ドームでは日本ハムに1勝2敗、千葉マリンで...(鈴木忠平)
2006年5月09日
これぞプロの仕事、福留の足元に学ぶ
ピカピカの足元に思わず目が止まった。5日の広島戦(広島)前、福留が新品のスパイクとともにグラウンドに飛び出してきた。「どういう天気になるかわからないからね。いろいろ試しておこうと思って」。ラバー部分...(鈴木忠平)
2006年4月25日
落合監督と新庄、引き際は対照的でも…
日本ハムの新庄が18日、今季限りの引退を表明した。なぜ今? なぜお立ち台で? 直接取材したことのない記者は不思議に思った。おそらく多くの人も同じ思いだろう。 ...(鈴木忠平)
- 村野森(むらの・しん)
- 94年入社。ロサンゼルス支局で大リーグ担当、大阪でプロ、アマ野球担当などを経て06年11月から名古屋勤務。09年2月から中日担当キャップ。70年12月、北海道生まれ。
- 村野森の記事一覧 »
- 鈴木忠平(すずき・ただひら)
- 00年に入社後、01年に中日を担当。その後アマチュア競技、ボクシングなどの担当を経て04年オフの落合政権誕生時から再び担当に。幼少時は大の西武ファンだった。埼玉県生まれ、29歳。
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- 福岡吉央(ふくおか・よしてる)
- 79年、岐阜県生まれ。02年入社。社会担当(株レンジャー)、芸能担当(お笑い、テレビ)、阪神担当を経て08年11月から中日担当。99年のリーグ優勝は神宮球場の左翼席から見届けた。
- 福岡吉央の記事一覧 »
- 桝井聡(ますい・さとし)
- 06年入社。高校野球、ラグビーなど東海地区のアマチュア競技を担当。今年4月から中日担当。京都府生まれ。趣味は国内旅行。
- 桝井聡の記事一覧 »
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