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企画特集


鈴木忠平の記事一覧

2008年7月04日

仮面の裏で渦巻く無数の苦悩

 いつも強気のオレ流監督が珍しく、弱音を吐いた。自分を責め、自嘲(じちょう)気味に笑った。「昨日は眠れなかったよ。だめだな…」。6月28日横浜戦(横浜)で敗れた翌日のことだった。指揮官が悔いていたのは...(鈴木忠平)

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2008年5月20日

あまりに早いスタメン8人衆の崩壊

 起きたことを悔いても仕方ない。ただ、悔いずにはいられない。そんな出来事が5月14日ヤクルト戦(神宮)に起きた。3回、中堅森野が突然たおれた。左足ふくらはぎを抑えたまま担架に乗せられてグラウンドを去っ...(鈴木忠平)

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2008年3月30日

オレ流指揮官が目指す理想のチーム

 男にとって1番大切な持ち物。それは理想-。確かこんなキザなCMがあった。多かれ、少なかれ、だれもが理想を追い求めて生きている(中にはそうでない人もいるが…)。そして開幕前の今は、監督も、選手も頭の中...(鈴木忠平)

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2008年3月09日

時期尚早?落合監督沈黙の真意は…

 3月3日、沖縄・那覇空港。落合監督は保安検査場を通ると、いつものようにサングラスをかけて歩き出した。「なんだよ?」。記者が近寄るとにやりと笑った。名古屋に戻る前に1つ聞いておきたいことがあったのだ-...(鈴木忠平)

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2008年2月25日

今年も情報戦でリードするオレ竜

 キャンプも中盤を過ぎるとネット裏が騒がしい。実戦編へ突入するこの頃、他球団のスコアラーが視察にやってくるのだ。新戦力のチェックはもちろん、各選手の球種やクセ、各打者の一塁到達のスピードなど分析は実に...(鈴木忠平)

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2008年2月10日

気配りの「ひと声」欠かさぬ立浪兼任コーチ

  「べんちゃん、乗れよ 」…。沖縄・北谷球場の屋内練習場。立浪は自転車にまたがると練習を終えた和田にこう声をかけた。メーン球場への約200メートルをファンや、報道陣に囲まれながら必死でペダルをこいだ...(鈴木忠平)

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2008年1月15日

常勝オレ流監督に休息なし

 バスは伊勢道を東へ向かっていた。2008年1月4日の夜、落合監督は年末年始を過ごした和歌山県太地町から家族とともに名古屋へ戻った。「早いなあ~」。そう言うとちょっと厳しい表情になった。休息は終わり、...(鈴木忠平)

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2007年11月14日

「非情」は落合監督へのほめ言葉

 記者席で思わずつぶやいた。「やっぱりな…」。11月1日、日本シリーズ第5戦、9回表が始まる前に落合監督がベンチを出た時だった。完全ペースの先発山井から岩瀬への交代を告げた。後出しジャンケンのようで嫌...(鈴木忠平)

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2007年10月13日

結果論で振り返らないのがオレ流

 オレ竜の連覇が消えた。10月1日、広島に敗れて巨人のマジックが「1」となり事実上の終戦を迎えた落合監督はこれだけ言った。「仕方ないだろう。勝負事なんだから」。敗軍の将、兵を語らず。巨人の優勝が決まっ...(鈴木忠平)

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2007年9月11日

真の「天王山」知るオレ流監督

 8月21日、落合監督は東京ドームのロッカーへと続く薄暗い通路を歩きながらいさめるように言った。  「おまえら、天王山という言葉の意味を知っているのか? 144試合目で優勝が決まるというならいくらでも...(鈴木忠平)

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2007年8月07日

問われる球宴の権威、オレ流嘆き節

 7月20日、オールスター第1戦。セ・リーグを指揮する落合監督の表情は冴えなかった。「楽しくなんかないよ。気をつかうことばっかりだ」。「オレもいろいろ考えを言ったけどムダだ。もう言うのはやめた」。出て...(鈴木忠平)

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2007年6月02日

マイペース中田のテンポアップに驚き

 もしこれが車の運転ならば“速度違反”かも!? セ・リーグのハーラートップタイ6勝をあげている中田賢一投手(25)。5月12日巨人戦(東京ドーム)から投球間隔をスピードアップした。それまで捕手からボー...(鈴木忠平)

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2007年5月05日

松坂の初球カーブに福留は

 ちょっと古い話になるが、4月12日のことだ。珍しく自然に目が覚めた。遠征先・大阪市内のホテル。アラームをセットした午前8時より5分早くベッドから出てテレビの電源を入れた。画面に映し出されたのは米ボス...(鈴木忠平)

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2007年4月07日

現役時代と変わらぬ川相コーチのスタンス

 「71・KAWAI」-。2ケタになった背番号が初々しかった。3月30日、開幕戦(対ヤクルト・ナゴヤドーム)、中日の川相昌弘内野守備走塁コーチ(42)が第2の野球人生を歩み始めた。 ...(鈴木忠平)

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2007年3月10日

ノリ加入で森野が思い出した原点

 まさにプロの顔だった。4日、ロッテとのオープン戦後、初本塁打を含む3安打を放った森野はナゴヤドームの駐車場で約15人の報道陣に囲まれていた。...(鈴木忠平)

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2007年2月24日

「うまく抜く」本能で知る堂上直

 今キャンプの不思議の1つに高校生ドラフト1巡目・堂上直のバッティングがある。初めてのシート打撃を行なった11日、3安打デビューした。さらに初めての練習試合となった16日の韓国SK戦では途中出場で2安...(鈴木忠平)

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2007年1月30日

ルーキー堂上直の初練習に見た「本物」

 堂上直は1人だった。1月9日、高校生ドラフト1巡目の「大物ルーキー」はプロとして第1歩を踏み出す入寮日を迎えた。そしてその日のうちに隣接する屋内練習場へ向かった。たった1人で-。...(鈴木忠平)

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2007年1月14日

山本昌、懐かしくも寂しい母校自主トレ

 41歳のベテランはグラウンドに出てくると、まるで少年に戻ったような笑顔を浮かべた。「やっぱりここに来るといいね…」。記者の仕事始めとなった1月4日。母校・日大藤沢高で自主トレを行った山本昌を取材した...(鈴木忠平)

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2006年12月20日

もがくのは格好悪くない

 「もがくことって格好悪いことじゃないんですね」-。中日を戦力外となって楽天に入団した川岸強投手(27)の言葉だ。ほんの1カ月前とは比べものにならないたくましくさ。「クビ」というドン底の経験が1人の男...(鈴木忠平)

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2006年12月05日

デニーが弟分・松坂に贈るエール

 ポスティング制度によって西武松坂との交渉権をボストン・レッドソックスが約60億円で獲得した。このニュースを見た時、すぐにあるベテラン投手を思い出した。05年、同球団へ移籍したが、メジャー登板できず今...(鈴木忠平)

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2006年11月10日

日本シリーズ、オレ流強攻策の裏に

 記者席にも、落合監督の苦悩が伝わってきた。日本シリーズ第3戦、中日はついに1度もバントをしなかった。やれる機会は少なくとも3度はあった。それでもベンチは頑なに強攻。第4戦に敗れて王手をかけられるまで...(鈴木忠平)

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2006年10月15日

福留が背中の「1」に込める思い

 福留の背中にある「1」-。それはただの背番号ではない。この3年間、見続けてきてわかった。リーグ最高のバットマンへの成長を支えた「福留流哲学」の象徴なのだ。...(鈴木忠平)

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2006年9月19日

大記録消したミス、実は大記録アシスト

 山本昌、ノーヒットノーラン-。史上最年長の快挙が生まれた16日阪神戦(ナゴヤドーム)から一夜明けた17日、各紙にはこぶしを突き上げるベテラン左腕と、そこにうれしそうに駆け寄るナインたちの写真が。しか...(鈴木忠平)

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2006年9月05日

球児の速球打ち砕いたオレ竜野球の気骨

 オレ竜が藤川を打った。8月30日阪神戦(甲子園)1点ビハインドの9回裏2死走者なし。井上が152キロの“火の玉ボール”をバックスクリーン右へたたきこんだ。 ...(鈴木忠平)

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2006年8月22日

ブラウン発言に激怒した落合監督の思い

 優勝へ独走しているオレ竜が「スパイ疑惑」に揺れた。広島ブラウン監督の発言に、落合監督が激怒した一件は、球団間の話し合いで収束した。だが、その裏では“被害者”となった人たちもいた。 ...(鈴木忠平)

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2006年8月08日

鉄人・谷繁の大記録の「礎」とは

 緑の芝生を蹴る。その一足、一足が、大記録への礎だった-。7月26日、谷繁が捕手として史上4人目となる通算2000試合出場を達成した。「プロに入ってから1度も大きなケガしなかった。だからここまで来れた...(鈴木忠平)

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2006年7月05日

現役最多出場捕手・谷繁の「勲章」

 6月29日、神宮球場-。谷繁が古田を抜いた。通算1986試合目の出場を果たした中日の正捕手に対しヤクルトの選手兼任監督は出場せず、1985試合のまま。「そうなの? 全然知らなかったよ! でも…。すご...(鈴木忠平)

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2006年6月20日

サッカーにも通じる福留の極意

 6月13日は朝からもやもやした気分だった。サッカーのドイツW杯で日本代表がオーストラリア代表に敗れた翌日。「なぜジーコ監督は…」。一丁前の敗因分析をしながら監督、選手とも自然とその話題へ。すると、打...(鈴木忠平)

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2006年6月06日

ぼやく人ぼやかぬ人、監督の目的

 ぼやく人とぼやかない人が仲良く並んでいた。6月2日、フルキャスト宮城スタジアム。楽天対中日戦の試合前、打撃ゲージ裏では野村監督、落合監督の談笑が延々と続いていた。ともに球史に残る右打者。ヤクルト時代...(鈴木忠平)

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2006年5月23日

敵地で弱いオレ竜、復調のカギは?

 もどかしさ、怒り、落胆が言葉に詰まっていた。「もう! 本当に…。うちの選手は環境が変わると弱いなあ」。オレ竜は敵地で弱い。21日までの交流戦を例にとれば札幌ドームでは日本ハムに1勝2敗、千葉マリンで...(鈴木忠平)

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2006年5月09日

これぞプロの仕事、福留の足元に学ぶ

 ピカピカの足元に思わず目が止まった。5日の広島戦(広島)前、福留が新品のスパイクとともにグラウンドに飛び出してきた。「どういう天気になるかわからないからね。いろいろ試しておこうと思って」。ラバー部分...(鈴木忠平)

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2006年4月25日

落合監督と新庄、引き際は対照的でも…

 日本ハムの新庄が18日、今季限りの引退を表明した。なぜ今? なぜお立ち台で? 直接取材したことのない記者は不思議に思った。おそらく多くの人も同じ思いだろう。 ...(鈴木忠平)

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2006年4月11日

藤井スタメン落ちで「勝利至上主義」不変を痛感

 決断は思った以上に早かった。4月6日、スタメンからルーキー藤井が外れた。...(鈴木忠平)

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ドラ番ブログ
伊藤馨一(いとう・けいいち)
 岐阜県出身の34歳。97年オフから中日を担当。99、04、06年と3度の優勝を知っているのがささやかな自慢。自分の目で見て自分の耳で聞いたものをまず信用する。まず「観察」してからものを言うというのがモットー。
鈴木忠平(すずき・ただひら)
 00年に入社後、01年に中日を担当。その後アマチュア競技、ボクシングなどの担当を経て04年オフの落合政権誕生時から再び担当に。幼少時は大の西武ファンだった。埼玉県生まれ、29歳。
益田一弘(ますだ・かずひろ)
 広島県生まれの31歳。00年に入社して格闘技、相撲、サッカーを取材。「突撃取材」でボクシングの世界王者とスパーリングして3度ダウンした経験も。06年11月から中日担当。

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