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◆ふくださん 福田豊(ふくだ・ゆたか)。85年日刊スポーツ新聞社入社。野球記者を11年。巨人、西武、日本ハム、アマ野球、連盟などを担当。野球デスクを7年勤めた後、2年間の北海道日刊スポーツ出向などを経て、現在は毎朝6時半出社で「ニッカンスポーツ・コム」の編集を担当。取材で世話になった伝説のスカウト、木庭教(きにわ・さとし)さん(故人)を野球の師と仰ぐ。好きなスタジアムは甲子園と、雄大な富士山を正面に拝める山梨・北麓球場。@fukudasunのアカウントでツイート中。

ゲッツーとバスターと千葉選手の涙

13年08月21日 [17時18分]

 準決勝が終わり、前橋育英(群馬)と延岡学園(宮崎)が決勝進出を決めた。今年の夏もあと1日。名残惜しいばかりだ。

 準決勝第1試合、前橋育英-日大山形。前橋育英の「2番セカンド」高橋知哉内野手(3年)が魅せてくれた。

 1回表の守備で1死満塁から強烈な二塁ゴロ。失点やむなしと思った瞬間、難しいハーフバウンドで打球をキャッチすると4-6-3。絵に描いたようなゲッツーで先制点を阻止した。するとその裏、無死一塁からバスター。バントの構えからバットを引くと、前進守備の三塁手を狙って引っ張った。強いゴロが三遊間を抜けて左前に転がった。チャンスを広げ先制点へ結び付けた。「初球(見逃しボール)、三塁手が前に来ていたのが見えたので監督さんがバスターにサインを切り替えてくれました。一発で決めてやろうと思いました」。これまた見事なバスターだった。

 高橋知選手は準々決勝までは9番打者だった。昨秋から今春の関東大会までは2番を打っていたが調子が上がらず今夏は9番に下げられていた。それでも準決勝を前に調子が上がってきたと判断した荒井監督が2番に打順を上げた。これがドンピシャ。高橋知選手は第2打席で二塁打を放ち3点目のホームを踏むと、第3、第4打席では送りバントをきっちりと決めた。まさにラッキーボーイとなったのである。

 第2試合は延岡学園-花巻東。試合後、敗れた花巻東・千葉翔太外野手(3年)を取材した。監督とともに台に上がったが、手にひざを突き号泣。しばらくインタビューが始まらないほど。監督に背中をなでられてやっと質問に答え始めた。

 「自分がやりたかったことができなくて悔しいです。ファウルで粘って何としても出塁するのが自分の役目だったんですが、最後までできませんでした。野球人生の中で一番悔しいです」。タオルを顔にあて号泣しながら質問に答えた。

 その後も途切れ途切れに質問に答えていたが、おえつが止まらなくなったため、台から降りて別のインタビュールームに移動した。そこではテレビ各局の取材が行われたがここでも涙、涙。あの長島三奈さんも、目に涙を浮かべて質問していた。

 この日は甲子園を沸かせたカット打法を封印した。準々決勝の後、大会本部から「バントの定義」に触れるのではないかという通達があった。ファウルで粘って5打席全出塁、相手投手に41球も投げさせたが、カット打法にバントと紛らわしい打ち方があったというもの。「ダメ」とは言われていないものの封印せざるをえなくなった。結果は4打数ノーヒット。ファウルは1本もなかった。

 大会本部によれば2回戦、3回戦は問題なかったという。ただ大事な準決勝を前にしての、突然の通達。千葉選手の胸中は穏やかではなかっただろう。監督、部長は高校野球特別規則のバントの定義について「知りません」と大会本部に答えた。練習試合や岩手大会ではどうだったのか。156センチの小柄な少年が、敗戦の責任を一身に背負っているようで、なんともスッキリしない第2試合となった。

 現在午後6時半。浜風吹く甲子園はグラウンド整備も終わり、静寂に包まれている。決勝戦は明日正午プレーボール。いい試合を見たい。

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