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2008年10月02日

“兄”が勝つか、弟分に女神が微笑むか

パのCS第一ステージ

 1日の日本列島は「清原引退試合」で沸きに沸きました。一人の個性豊かなスーパースターがユニフォームを脱ぐのは寂くい思いましたが、これもプロ野球選手の宿命でしょう。

 そんなフィーバーの陰であまりマスコミでは大きく報じられなかったのですが、日本ハムが楽天に圧勝、3位を決め、クライマックスシリーズ(CS)への出場権を確保しました。梨田新監督にすれば過去2年、ヒルマン時代に日本シリーズに出場していることもあり、最低ノルマは果たせた……の思いで一杯でしょう。

 さらに、気持ちを切り替えて11日からの第一ステージへ全力を尽くす決意を明かしていましたが、前回に取り上げたテーマとも関連しており、私には「兄弟対決」という観点からも、この試合は興味深いのです。

 かつての近鉄ファン、いやプロ野球ファンならご存じでしょう。オリックス・大石監督は梨田監督の9年後輩(年齢は5歳下)、梨田監督が看板選手の一人だった頃に大石監督が入団、梨田監督が現役引退する頃には、大石監督が「猛牛の顔」になっていました。

 入団して間もなくから、梨田監督は大石監督を可愛がり、よく飲食に連れていってました。杯こそ交わしてはいないけれど、兄弟に近い親密さで、気性も似たところがありました。

 あれは86年の近鉄-阪急戦でした。小野(現西武投手コーチ)の投球がブーマーの足を直撃。怒った2年前の三冠王は脱兎のごとくマウンドへ。まず大石が全速力で駆けつけ腰に飛びついたのですが、2メートル、100キロの巨漢にはかなわず、振り払われました。

 その頃にはマスクを置いた梨田もマウンドに着き、羽交い締めしようとしましたが、これも体力負け。挙げ句、右の側頭部に強烈なパンチを受けました(このあざは2週間ほど消えなかった)。

 この一つの乱闘劇は二人の性格の一端を表していると思います。後輩(小野)のために身体を張る。正義感、義侠心は共通しているな、と当時、ネット裏から感じたものです。

 時は経て梨田氏は01年に近鉄のリーグ優勝監督となり、03年、大石氏を守備走塁コーチとして、呼びました。だが04年に近鉄は身売り。大石は翌年からオリックスのユニホームを着て、今夏に監督に。梨田氏は今年から、北の大地に夢を求めました。

 そんな経緯を思い浮かべると感慨が沸いてきます。しかも舞台は京セラドーム大阪。かつて梨田監督が宙に舞った球場。これも野球の神様がお膳立てをしてくれたのかもしれません。

 前評判は恐らくバファローズの方が上でしょう。総合力は私もそう思います。さらにファイターズが第二ステージに進むためには2勝が絶対条件。引き分けは許されません。

 互いの戦術を知り尽くしているというより、基本的に共にオーソドックス。それに、生来の“強気の虫”が時々、出るので意表策もあり得るでしょう。

 兄貴分か、弟分か。皆さん方にも、一つの見方として意識していただけたら…。


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浅岡真一「独断流」
浅岡真一(あさおか・しんいち)
 1950年3月24日、大阪生まれ。早大卒業後、74年、大阪日刊スポーツ新聞社に入社。4年近くの内勤を経て、78年から運動部記者に。近鉄を6年担当、その後、阪神担当に。85年のリーグ優勝、日本一を目のあたりにした。現場時代はその執拗な取材活動から「ゴキブリ記者」とも呼ばれた。89年から運動部、報道部デスク、運動部長などを歴任、その間もほぼ野球の世界で取材活動を続けてきた。編集委員、広島総局長、編集局次長、営業局長などを経て、04年8月から現場記者に復帰。趣味はスポーツ観戦、テレビのニュース、クイズ番組視聴。

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